認知症という病
認知症は医学的には脳疾患として捉えられています。現在、日本国内では認知症の薬としては4種類が認可されています。アリセプト、レミニール、リバスタッチパッチ/イクセロンパッチという3種類のアセチルコリンエステラーゼ阻害薬と、メマリーという1種類のNMDA受容体拮抗薬があります。ただ、残念ながら現在使用されている薬には、根本的に認知症の進行を止める働きはなく、最終的には認知症は進行します。記憶障害や行動障害を劇的に改善させるほどの効果も期待できません。しかし脳で生き残っている神経細胞を活性化させ、覚えたり考えたりする働きをある程度保つ可能性があることに加え、日常生活に活気が出て、不安を少なくすることによって生活の質を上げる効果も期待できます。
薬以外に認知症に対して効果的に働きかける方法はないのでしょうか?非薬物療法は大きく分けて2種類存在します。身体を動かすものと心を癒すものです。作業療法や音楽療法が前者、見当識訓練やアロマセラピー、動物療法が後者に属します。そして「回想法」も後者に属しています。
回想法の成り立ち
「回想」と聞くと、高齢者が遠い昔を思い出す、物悲しいようなイメージがありますが、この分野は科学的にも注目されている分野です。まず最初に回想法を提唱したのはアメリカの精神科医であるロバートバトラー(1927-2010)です。回想法の元になったライフレビューにバトラーは注目しました。彼は、高齢者の回想は自然なことであり、過去の葛藤の解決に至るプロセスではないかと考えていたのです。少し心理学の詳しい説明を加えると、エリクソンが心理社会的発展段階説という、人生を8段階に分けてそれぞれの年代で向き合うべき心理的課題があるという説を提唱しており、老年期の課題である「自我の統合」にライフレビューが役立つのではないかとバトラーは考えていたのです。彼の論文は反響を呼び、専門家領域として発達していきました。ただ現場レベルでは実践が難しいという課題があります。なぜならライフレビューは真摯に自らの人生を総括する必要があり、高齢者にとっては苦痛を伴うものだからです。そこで、過去の楽しかったこと、嬉しかったことを懐かしく思い出すことで精神の安定を得られるように応用されはじめたのが回想法です。介護現場ではレクリエーションの一環として取り入れられてきました。
回想法の目的
回想法の対象者はどんな人たちでしょうか?認知症、うつ病患者、終末期ケアの対象者など疾患を持った方々のみならず、普通に暮らしている高齢者やそのご家族、さらにはデイケア・デイサービス利用者、高齢者施設入居者があげられます。とくに日本では、認知症と認知症予備軍の方々への取り組みが多く行われています。
回想法の目的をひとことでいってしまうと「昔を思い出して、皆で語り合うことで楽しい気分、幸せな気分になる」ということです。それが「認知症やうつ病の症状を改善させる」ことにつながります。まず、皆で昔のことを語り合うことで脳の活性化に役立ちます。回想法を利用することで、「閉じこもり」に代表される社会性の欠落を防ぐことができるのです。また、連続したシリーズの回想法のセラピーに参加することで、次回を楽しみにし、生活に張りがでるといったことも期待できます。
過去を回想するにあたって五感を刺激することも大切なことです。なぜなら脳内に変化がでることが非常に重要だからです。たとえば夕焼けをみれば、夕方独特の匂いが蘇ります。流行した歌を聞けば、そのときの自分や社会の状況をイメージすることもできるでしょう。これらすべてが懐かしいという感情とともにあの頃に戻してくれるというわけです。
またライフレビュー的な回想法を活用すると、自分の人生を一続きのものとしてとらえることで、ゆるぎない自分を発見し自己肯定感を高めることができます。いずれ訪れる死のサインに伴う不安を和らげるともいわれています。
回想法の効果が期待できる理由
現時点で一般的に回想法が期待されているのは、認知症などによって「落ち着かない」「不穏な」状態になった精神状態で安定させることです。研究者によってはもっと大きな効果があり、認知症が改善することも多いと考えている人もいます。回想法の本質は会話にあります。会話するためには相手の話を理解し、自分の考えていることを相手に伝えなければなりません。また、記憶していたことを物語として表現する作業が必要になります。記憶は言葉ではなく映像です。ですから記憶が蓄積されているといわれている海馬、視覚野、言語野と多岐にわたる脳の機能を活用する必要があります。これが脳活性のいいトレーニングになるというわけです。
近年、脳科学は急速に発達しており、それを用いた心理学も増えてきました。そのなかで「今自分がどこにいるのか」という認識が精神に与える影響がわかってきました。人はここが自分の居場所だと感じることができれば元気になり、居心地が悪ければ不安になり早くここから出たいと感じます。高齢になれば、認知力が低下し、新しいものへの興味も減っていきます。そうすると「わからない」ので、ますます興味を失い、さらに「わからなく」なってくるのです。そんな「わからない」場所は居心地が悪く、自分の居場所ではありません。つまり高齢者にとって今は居心地の悪い場所であることが多いのです。
それに比べて昔話はどうでしょうか。延々と話し続けることができるのではないでしょうか。なぜなら自分の居場所だから。回想法は、いつも遊んだ野原、慣れ親しんだ風景へと高齢者を連れて行くことができる方法です。さらにそれは自信へとつながります。戦地で戦ったときの話をする男性高齢者は少なくありません。ノモンハンで大隊とはぐれてしまった戦車に乗っていたおかげで助かった話、極寒のシベリアでトラックを不眠不休で運転していてハンドルを切り損ないトラックごと横転した話。あの修羅場を生き抜いたんだということを思い出して自分を支えることができるのです。
回想法のやり方
回想法には昔を思い出す道具が必要です。簡単に手に入るものとしては、洗濯板、かなだらい、裁縫道具、そろばん、昔風の人形、紙風船、竹とんぼなどがあります。昔の新聞記事で有名な記事や写真付き記事を使うのもいいでしょう。当時の生活がよくわかるような記事を話題にするのもいいと思います。昔出版された本や雑誌もいい素材です。古い本の独特な匂いは五感を刺激してくれます。これらの道具は誰にとっても、その人の記憶をたどって昔を思い出しやすくしてくれます。会話の内容はなんでもよく、道具の話から始まってどんどん昔話に花が咲けばいいのです。施設で行われる回想法の場合、総括などはせず、楽しい気分のまま「また次回を楽しみにしています」という形で終わることができればよいのです。
回想法は認知症セラピーとしての効果を過小評価されているのではないかと考える研究者も多く存在します。グループホームが普通の家に近い施設のつくりになっていたり、畳やいろりを取り入れた施設があるのは、高齢者の昔の生活に近い環境を作り出すことで認知症の問題行動が軽減されると現場レベルの理解があるからです。大規模施設では昼間に高齢者を家に連れていき、普通の生活をするような取り組みもあります。つまり高齢者にとって居心地のいい「場」をつくることすなわち回想法の活用であるということなのです。
※参考図書
小山敬子『なぜ「回想療法」が認知症に効くのか』, 祥伝社新書(2011年)https://amzn.to/3x6FKAq